長崎バイオパークにハシビロコウがいた!

~そして…シューとビル~


確かに「長崎バイオパークにハシビロコウがいた!」

 

以前から長崎バイオパークにハシビロコウがいたらしい…

という話を聞いてはいたが、何せ今から15年以上前の話、そのころ一般の方が手軽にできるブログ等なかった時代、探しても探してもその記述が見つからず、それでは長崎バイオパークに直接メールで問い合わせてみると…

残念ながら不慮の事態があり資料も何も残っていない。わかっている事は確かに預かり個体として1羽のハシビロコウがいた事だけ。性別もわからず、死因もわからず…写真もないという返事が。

しかしその時点で「ピロリン」という名前だけがわかり、それでも収穫有と喜んでいたのです。

そして「東京ハシビロ部」スタート。いろいろお話を伺った方にそれを知らせると1通のとんでもないメールが…

 

それが長崎バイオパークからのメールでした。最初にお答えいただいた方、実は副園長の伊藤雅男様からでした。

伊藤副園長は長崎バイオパークに勤務する前、東京の進化生物学研究所にいらして、なんと伊豆シャボテン公園に引っ越す前のビルとお嫁さんのシューを飼育されていた事が書かれていました。

シューとビル(もちろんSHOEBILLから取りました)の名付け親です。と…

ビルとシュー(特にシュー)の過去の資料も実は少なく、私たちには飛び上るほどうれしいニュースとなったのです。

私事ですが…主人の実家(福岡県)に帰るとき、是非訪ねてみねば…その旨伊藤副園長にお伝えすると、なんと今回「ピロリン」の写真を探しておいて下さいました。写真は紙焼きの時代、他の昔の写真は劣化したり雨漏り原因でこびりついたりと「ピロリン」の写真も諦めかけた時、きれいな状態の写真が6枚…奇跡的に出てきたのです。それがこちらです。本当にピロリンに会えてうれしかった!!

長崎バイオパークに着いたその日の写真です。魚をあげている方が伊藤副園長です。

 

ピロリン:性別不明~19984月来園、19992月に死亡。

目が黄色く見え、若鳥ですね。

 

そして今回長崎バイオパークを訪ねるとハシビロコウが飼育されていた場所も教えていただきました。

写真の部屋は、現在レストラン・ケーナの横にあるアルパカの家

この階段状になっている部屋の中に滝があったと…

そしてピロリンが長崎バイオパークに来ると、その後コアラも預かり個体として来園。このピロリンのお家をコアラに明け渡し、現ブラジルバクの放飼場へ移動。ここでピロリン死亡。

ハシビロコウがいた時代はシャボテン公園のように人間が歩くコースもあったらしい。

(進化生物学研究所と伊豆シャボテン公園、長崎バイオパークの関係はハシビロコウに会える動物園、番外編、長崎バイオパークの紹介にあります)

この頃、伊藤副園長はハシビロコウの担当でなくカバ担当だったので、ピロリンの様子はこの位しかわからないという事でしたが、まったく諦めていた個体の情報…ここまでわかるとは感激でした。


進化生物学研究所時代のビルとシュー!

 

日本に初めてハシビロコウが来たのは1973年。進化生物学研究所の故・近藤典生先生(東京農大教授)がアフリカ現地で惚れ込んで日本に呼んだのが最初。

(是非日本へと声を上げてから日本にやっているのに10年ぐらいかかっている)

研究所時代、まだ2羽に名前が無く指が欠損している方と、してない方で区別をしていて、どちらがオスかメスもわかっていなかったようです。(今のように手軽にDNA鑑定などできなかった。欠損している方がビルです)名前を付けたのは、伊豆シャボテン公園行きが決まってからです。

初めてハシビロコウをご覧になった伊藤副園長は後に日本でこんなに人気者になるとは思っていなかったようです。

 

来日してまだ5か月も経っていない8月。上野のデパートで「世界の鳥展」という展示会があり、ハシビロコウも展示されました。

(デパートに資料が残っているか問い合わせてみたが、残念ながら昔の事過ぎて残ってないという返答)

デパートはもちろん動物園用の空調はなく、鳥たちの様子を見守るため伊藤副園長がデパートに泊まり様子をみました。

閉店後は空調を止めてしまうので、ものすごく暑かったようで、小さなトイレの窓から顔を出して涼んだとか。

 

その時展示会には大勢のお客さんがみえ、伊藤副園長もその様子を覗いていると、なんとハシビロコウが目で追ってくるではありませんか。偶然?次の日服を変え、ウロウロしてみると、顔を伊藤副園長の動きに合わせて動かして追っているのです。

その時、ハシビロコウは頭が良い鳥。と思われたそうです。

 

実は…とこれは時効の話と教えていただいた秘話が…

なんとハシビロコウ(シューかビルかは不明)が東京の空を飛んだことがあるのです!!

ある日伊藤副園長が研究所に出勤すると、ハシビロコウの小屋のカギが壊れ開いていて、もぬけの殻!!1羽はすぐ地上にいたので温室に追いやり、1羽を探すとなんと上空を、東京の空を飛んでいるではありませんか!!あっ…!!この時の伊藤副園長たち研究員の焦りようは…しかし1羽が温室にいた為すぐに温室に戻ってきてホッとする間もなく、焦ってカギを直し、2羽を戻した瞬間、近藤典生先生の車が…出勤されて来ました。

この事件を知らずして近藤先生は天に召された様です。

しかしハシビロコウが檻から出て行った時は誰も見ていないので、どのくらい東京の空を飛んだのかは誰もわかっていないようです。

 

進化生物学研究所にはいろいろな専門の研究者がおられ、魚類担当者にもお世話になったようです。ハシビロコウが魚を食べる為です。ハシビロコウの餌を調達してくれたようです。そのころ鯉(赤や白の色鮮やかな鯉)や金魚を与えていたそうです。そして色が黒っぽいフナをやってみたところ、池の底が黒いので見にくいからか、チラッと見るが食べず、もっぱら鯉を好んで食べていたとか。しかしフナも頭をたたきピクピクした状態になれば食べたそうです。

 

このような進化生物学研究所時代のハシビロコウのお話も伺えてとても有意義な長崎バイオパーク訪問となりました。

お話を伺った後、動物園を2周。伊藤副園長が手塩にかけて育てたカバのモモちゃん(日本初の人工哺育)やファンの間ではもはや聖地となっているカピバラの放飼場などを見て回りました(その様子はおはようルタンガで)

 

伊藤副園長、本当にお忙しい中たくさんのハシビロコウ話、そして貴重なピロリンの写真をありがとうございました。